ロータリーミキサーの歴史

ロータリーミキサーの歴史

Alex RosnerとRosie

DJミキサーの歴史は、1971年にオーディオエンジニアのAlex Rosner(アレックス・ロズナー)が、フェーダーとキュー機能を備えた原始的な3チャンネルの「Rosie(ロージー)」と呼ばれるミキサーを作ったことから始まりました。

アレックスロズナー
ロージー

1960年代に「DJのゴッドファーザー」と言われているFrancis Grasso(フランシス・グラッソ)は、曲と曲をスムーズに繋ぐためにビートマッチングという方法を編み出しました。しかし、Salvation II、Haven、Sanctuaryなどのアンダーグラウンドのクラブには、DJプレイ中に次にプレイするトラックを聴く手段が存在しませんでした。

フランシスグラッソ

そんな雑な繋ぎ方に嫌気が差したフランシス・グラッソは、1971年にレジデントを務めていたニューヨークのクラブでレコードを簡単に切り替えることができるように、アレックス・ロズナーに相談した結果、「Rosie(ロージー)」が製作されました。

アレックス・ロズナーはクラブシーンに精通しており、有名なDavid Mancuso(デビッド・マンキューソ)のアフターアワーパーティーに技術的なサウンドシステムの設置をしていたため、フランシス・グラッソがアレックス・ロズナーに相談することは理にかなっていました。

「Rosie」はゼロから作られたものではなく、高品質のオーディオ機材を製造していたBozak社のモノラルミキサーをステレオに改造して作られたものでした。このステレオミキサーは次にプレイするトラックをヘッドフォンで聴けたため、クラブのサウンドシステムに通す前にミックスを確かめることができるようになりました。

元々は放送用に作られたものでしたが、Bozak社のオーナーでありエンジニアでもあるRudy Bozak(ルディー・ボザック)の許可を得て、キューシステムに2つのヘッドフォンアンプとスライディングフェーダーを使用してカスタマイズし、頑丈さのテストもされました。

オーディオ信号をミックスするためのツールというアイデアは、ラジオやレコーディングスタジオではもちろん数十年前から存在していました。しかし、DJブースのスペースを考慮されたナイトクラブでのDJ専用のツールという概念は、ダンスフロアのエネルギーを維持するためのビートマッチングという新しいミキシング・スタイルに対応した新しい視点でした。

Bozka CMA-10-2DL

その後、Bozak社のルディー・ボザックが、初の商業用DJミキサーである「Bozak CMA-10-2DL」を発表しました。

「Bozak CMA-10-2DL」は、ラジオのミキシングボードからヒントを得て、各チャンネルのボリュームをコントロールするためにスライダーではなく、大きなロータリーを使用し、「Rosie」でのDJミキサー作りの経験のあるアレックス・ロズナーの助言を得て、PA用モノラルミキサーをステレオミキサーに改造することにより完成しました。

ルディー・ボザックは、エンジニアのWayne ChouとNick Morrisが運営していたCMA社と1960年代半ばからコラボレーションをしていました。ChouとMorrisは「Bozak 10-2」として、いくつかのモノラルチャンネルのミキサーをステレオチャンネルに改造し、このうちの1台を「CMA-10-2D」と命名しました。

当時、Bozak社は「Model 919」という、リニアフェーダー制御のプリアンプを製造していました。音の良いプリアンプとしてアメリカで人気がありましたが、一体型内臓アンプの需要が増えたため、販売台数が減少していました。そのため、ルディー・ボザックは「Model 919」のフォノカードを「CMA-10-2D」に搭載することにし、こうしてミキサーは「CMA-10-2DL」と改名され、世界的に高い評価を得た初の商業用ロータリーミキサーとなりました。

手で持って使える「Rosie」とは違い、「Bozak CMA-10-DL2」は重さは25ポンド(約11kg)もありましたが、街中のDJブースに設置されるようになりました。

 

1970年代半ばには、「Bozak CMA-10-DL2」はすでに標準的なクラブミキサーとしての地位を確立していました。レジスター、コンデンサー、トランジスタなどを使用したディスクリート・ユニットで構成されていて、オリジナルのポテンショメータはAllen-Bradley社の「Type J」でした。

「Type J」は長期間のDJ使用には適していなかったため、1979/1980年にALPS社のカスタムモデルであるALPS RK40 「Black Beauty 」に置き換えられました。これらのカスタムRK40は「Type J」よりもはるかに耐久性が高く、1,000,000,000回のサイクルが保証されていました。

可能な限り最高のサウンドを実現するためにすべてのコンポーネントが慎重に選択されたBozakミキサーのサウンドは暖かく、まろやかで、決してキツくなく、疲れを感じさせませんでした。

1982年にルディー・ボザックがこの世を去り、Bozak社のエンジニアであるBuzzy “The Buzzard” BeckとPaul Hammarlundは「CMA-10-DL2」ミキサーの組み立てを続け、「CMA-10-2DLA」や「CMA-10-2DLS」などのいくつかのオプション・バージョンも製造しましたが、程なく生産終了しました。

UREI 1620

Bozakが製造中止になると、1982年にUREI社がロータリーミキサー「UREI 1620」をリリースしました。

UREI社は、レコーディング機器の礎を築いた会社の設立者として広く知られているBill Putnam Sr.が、ハリウッドに拠点を移した時に設立した会社でした。

「UREI 1620」はBozakの内部構造を参考にして開発されましたが、Bozakの回路が様々なコンポーネントを集めたディスクリートだったのに対し、UREIは集積回路(IC)をベースにしたモデルで構成されていました。UREI 1620はBozakのあとを引き継ぐ形で、ハウスDJのデファクトスタンダードモデルとなり、1993年に生産終了するまで5,000台が生産されました。

その後、1980年代のヒップホップの登場により、DJミキサーのメイントレンドは大きくシフトしました。クールハークやグランドマスターフラッシュのような初期ヒップホップDJたちは、ダンサーを踊らせるブレイクビーツの尺を伸ばすために同じヴァイナル2枚をスムーズに繋いだり、素早くカットインさせる必要がありました。

このジャンル特有のミキシングテクニックのニーズに応える解決策としてクロスフェーダーが登場し、DJミキサーのスタンダードがロータリーミキサーから、縦フェーダーとクロスフェーダーが付いたミキサーに入れ替わりました。

1999年には「Bozak CMA-10-DL2」と「Urei 1620」をモデルとして設計されたRaneの「MP2016/XP2016」が発売され、2002年にはAllen & Heath「Xone V6」が発売され話題になりました。「Xone V6」は、現在最もレアで高額なロータリーミキサーとして知られ、中古市場では最低でも100万円以上で取引されています。

2005年には、イギリスのSoundcraft社によって、オリジナル機の設計理念とSoundcraft社のテクノロジーを融合し、復刻した限定版のロータリーミキサー「UREI 1620 LE」が発売されました。

E&S DJR400

縦型のフェーダータイプが主流となって以降、しばらく下火となっていたロータリーミキサーですが、2010年にE&S DJR400が発売されると潮目が変わります。

E&S DJR400

2003年、パリを拠点に置くDJ Deep(DJディープ)が、エンジニアのJerôme Barbé(ジェローム・バーブ)に、自分が所有しているUREI1620の修理を頼んだのがきっかけとなり、2人はUREIをベースした新しいDJミキサー制作のアイディアを思いつきました。

さらにはKerri Chandler(ケリー・チャンドラー)や、Joe Claussell(ジョー・クラウゼル)などのDJがデザインプロセスに加わり、様々なアイデアを出した結果、最低限の機能にまとめられたコンパクトDJミキサー「E&S DJR400」が誕生しました。「E&S DJR400」はじわじわと人気が高まり、ハウスDJたちの間に再びロータリーミキサーブームを巻き起こしました。

現在、Alpha Recording System、Mastersounds、Bozak(Analog Developments社が引継ぎ復活)、Condesa、Omnitronic、SuperSrereo、Varia Instrumentsなど、多数のメーカーがロータリーミキサーを製作しており、フルデジタルのロータリーミキサーや、オーディオインターフェースの役割を持つもの、VUメーターやクロスフェーダーの付いたものなど、市場に続々と新しいロータリーミキサーが誕生しています。